人の葬儀の歴史

◉最近興味深く読んだもの

◉読み物1

「本朝変態葬礼史」

日本書紀、風土記などを引用しながら日本人の人を葬る形について言及しています。

中山太郎 著

中山太郎は、明治期の民俗学者で、青空文庫で読むことができます。

 

◉読み物2

「屍体と民俗」

中山太郎 著

中山太郎は、明治期の民俗学者で、青空文庫で読むことができます。

 

◉読み物3

「葬制の沿革について」

日本の民俗学の創始者、柳田國男の著作です。

J-STAGE(論文など、学術的な研究をみることができるサイトです)で検索すれば読むことができます。

 

◉いくつかのテーマで深く考えてみましょう。少しずつ。

1、人の死に対する敬う心とは

2、世界の葬儀の形から、葬儀の本質を考えてみよう

3、南洋の風葬、鳥葬

4、すり込まれた日本の葬儀

5、宗教者は、本来人を救うものだった

6、寺や神社は、葬儀の場所ではなかった?

7、素直な気持ちで死んだ肉親を近くに置いて、思い出すことの意味

8、親鸞、法然も道元も空海も人を弔うための宗教者ではなかった?

 

 

 

 

新しい時代の送り人

ご提案

人の葬儀は、この20年で大きく変化しております。私たちは人が亡くなった後、逝く人々の意思と残された人たちの人の死の見守り方を考えてきました。

仏前葬、神前葬、樹木葬、教会葬儀、散骨型葬儀などさまざまな人の死の見守りの方法は、近頃では個人の考え方の違いの数ほど様々な形になってきました。

日本人の多くは、おそらくお寺の墓地に、自分の先祖や親の作った墓地に入る人々がほとんどでしょう。この10年の間に、その形も変化が見えてきました。墓の面積、墓を維持するという行為に、多くのかたが無理を感じてきたせいでしょうか。親から離れた子供達は、都会に住んで自分の田舎の墓地にお参りをするというのは色々な理由で実行不可能になってきています。

お寺がマンション型のお墓を作り高額な代金を徴収するのも一つのブームのようなものになっています。合理的と言えば合理的です。田舎から離れたところにいる人間にとっては、そうすることによって自分の親たちに合理的に関わることができます。時間ができたときに、そういう墓前にお参りするのは極めて便利ですし、肩残らない一つの方法です。