花で送る

岡倉天心(覚三)の「茶の本」の「花」のページに人が葬られた亡骸の傍に花の花粉が発見された話が述べられていたと思います。花は、原始から人の暮らしに付き添ってきました。英語で書かれた、日本人の書いた日本文化を紹介した本として有名なものです。彼は次のように言っています。

When we are laid low in the dust it is they who linger in sorrow over our graves.

我々が死んで低く横たわる時、われわれの墓畔を、悲しみながらたもとおるものは花だ。

と言っています。(「茶の本」THE BOOK OF TEA  講談社バイリンガル・ブックス )

 

花を亡き友のかたわらに飾りましょう。

 

 

 

家族って何!

家族とはなんでしょうか。

どうも私たちは、家族について確たる概念を持っているわけではないようです。

一人一人、家族の概念は別々のもののようです。

 

大学の研究機関の雑誌の中に次のような一文がありました。

エスノメソドロジーの 知見に基づき社会構築主義の立場をとる社会学者グブリアムとホルスタインは、家族とは何かを包括的に把握できる視座は存在しないということを次のように表現している。

友だちを家族と呼ぶ人もいた。ペットを家族と呼ぶ人もいた。多国籍企業を家族と呼ぶ人もいた。逆に、妻や子ども、両親を家族と呼ぶのを拒む人もいた。誰が正しいのだろうか。ある人たちは、自分たちは同じ家に住んでいるから、自分たちが本当の家族かどうか他人よりよく分かると述べた。また、ある人たちは、自分は世帯のメンバーでないからこそ、家族についてより客観的に知っているのだと主張した。(2)

((2)グブリアム&ホルスタイン 1997、11頁。)

家族という概念を何が支えているのか ― 補完性の原理を経由して  奥田 太郎
南山大学社会倫理研究所
社会と倫理 第 30 号 2015 年 p.91―103の一部分