国産の仏壇
手元に置いておいてもインテリアになる漆仕上げの仏壇
小さな仏壇
現代的なデザインの仏壇
生まれ故郷の土や黄泉の国で住みたい土地の土を入れた日本の骨壷
家族で分け合う小さな日本の骨壷
最後は自然に土に還る骨壷
可愛いカラフルな骨壷
シンプルなインテリアBOX
国産の仏壇
手元に置いておいてもインテリアになる漆仕上げの仏壇
小さな仏壇
現代的なデザインの仏壇
生まれ故郷の土や黄泉の国で住みたい土地の土を入れた日本の骨壷
家族で分け合う小さな日本の骨壷
最後は自然に土に還る骨壷
可愛いカラフルな骨壷
生き物はなぜ死ぬのか
生き物の死に方には、大きく分けて2つあるという。
一つはアクシデントによる死。食べられたり、事故に遭うとか、要は突然の死。
もう一つは、寿命による死。
寿命は、遺伝的にプログラムされた命の長さであり、種によってその長さは違う。
さまざまな生き物の寿命(生物はなぜ死ぬのか 小林武彦 著 講談社現代新書)
死は、進化するために必要なのだと言われています。
そして、進化が生き物を作ったという。
人間も進化の過程の中で、すなわち他の種の死によって、作られたもの。
そして人も進化から逃げることはできない。
死から逃れることはできないのでしょう。
人類の死は、次の種への進化の過程。
個々人の死もその一部分。
というのが生物の死の理由であるといいます。
私たちは、死によって次の種の命の始まりを作ることができるのだということでしょうか。
選択と変化は、生物の進化の原則だといいます。私たちは変化し続けながらしか、合理的な選択の結果としてしか今を作り出すことはできないのです。
地球には、名前のついているものだけでも約180万種の生物種があるという。
彼らは、そうして生き残ってきた。
老化は細胞レベルで起こる不可逆的、つまり後戻りできない「生理現象」で、細胞の機能が徐々に低下し、分裂しなくなり、やがて死に至るという。
免疫細胞の老化による免疫力の低下や、組織の細胞の機能不全によるものだと書かれています。
本書は、あとがきで次のように締めくくっています。
死は現在生きているものから見ると、生きた「結果」であり「終わり」ですが、長い生命の歴史から考えると、生きている、存在していることの「原因」であり、新たな変化の「始まり」なのです。
岡倉天心(覚三)の「茶の本」の「花」のページに人が葬られた亡骸の傍に花の花粉が発見された話が述べられていたと思います。花は、原始から人の暮らしに付き添ってきました。英語で書かれた、日本人の書いた日本文化を紹介した本として有名なものです。彼は次のように言っています。
When we are laid low in the dust it is they who linger in sorrow over our graves.
我々が死んで低く横たわる時、われわれの墓畔を、悲しみながらたもとおるものは花だ。
と言っています。(「茶の本」THE BOOK OF TEA 講談社バイリンガル・ブックス )
花を亡き友のかたわらに飾りましょう。
家族とはなんでしょうか。
どうも私たちは、家族について確たる概念を持っているわけではないようです。
一人一人、家族の概念は別々のもののようです。
大学の研究機関の雑誌の中に次のような一文がありました。
エスノメソドロジーの 知見に基づき社会構築主義の立場をとる社会学者グブリアムとホルスタインは、家族とは何かを包括的に把握できる視座は存在しないということを次のように表現している。
友だちを家族と呼ぶ人もいた。ペットを家族と呼ぶ人もいた。多国籍企業を家族と呼ぶ人もいた。逆に、妻や子ども、両親を家族と呼ぶのを拒む人もいた。誰が正しいのだろうか。ある人たちは、自分たちは同じ家に住んでいるから、自分たちが本当の家族かどうか他人よりよく分かると述べた。また、ある人たちは、自分は世帯のメンバーでないからこそ、家族についてより客観的に知っているのだと主張した。(2)
((2)グブリアム&ホルスタイン 1997、11頁。)
家族という概念を何が支えているのか ― 補完性の原理を経由して 奥田 太郎
南山大学社会倫理研究所
社会と倫理 第 30 号 2015 年 p.91―103の一部分
◉読み物1
日本書紀、風土記などを引用しながら日本人の人を葬る形について言及しています。
中山太郎 著
中山太郎は、明治期の民俗学者で、青空文庫で読むことができます。
◉読み物2
「葬制の沿革について」
日本の民俗学の創始者、柳田國男の著作です。
J-STAGE(論文など、学術的な研究をみることができるサイトです)で検索すれば読むことができます。
◉いくつかのテーマを掲げる。深く考えること。少しずつこの方針に従って書き加えていこう。
1、人の死に対する敬う心
2、世界の葬儀の形から、葬儀の本質を考える
3、南洋の風葬、鳥葬
4、これが普通だと、すり込まれた日本の葬儀
5、宗教者は、本来、人を救うものだった
6、寺や神社は、葬儀の場所ではなかった
7、素直な気持ちで死んだ肉親を近くに置いて、思い出すことの意味
8、親鸞、法然も道元も空海も人を弔うための宗教者ではなかった
9、読み物的にエピソード的に、でなければ伝わらない
10、証拠を探す
11、特定の宗教者が人の死にどう関わったか
12、多くの宗教者は自らの死と、他人の人の死後の世界について考え尽くしてきたが、形式としての人の死を、どのような形の中に位置づけたか、少なくとも、宗教者らは、もしくは彼らが作った寺や神社は、人を葬る手伝いをして、その対価としてお金をとって、自らの生活の経済を過ごしていたと言う、そういう視点での話題は、これまであまり取り上げられてきた気配がない。
生まれ変われるなら
My Sogi
マイ葬儀
私の葬儀
考えることがある。
人の死の瞬間と儀式は、神聖なもの。
私、死の時間くらい好きにするわ!
好きな音楽で送られたい。