家族の時間
その命が終わった時、残された人々が、その墓や位牌に手を合わせるのは、自分だけの時間。それは自分の人生や亡くなった命の生きていた時間を確認する時。
親類や亡き人、家族や仲間の命と繋がりのある人々と一緒にいる時間は、コミュニケーションの場として価値のあるものです。しかしその時間も、やはり一人だけのもの。あなただけの大切な時間。
宗教も宗派もその時間は関係ありません。
あなただけの時間の中で、かってあなたと関わりのあった命と向き合う時間です。
<生き物の一生>は・・・・
生き物が生まれた時
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子供時代
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青春時代
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壮年時代
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老年時代
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生き物の死
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残されたものの思い出
現代を生きる多くの人は、自分の何代も前からのしがらみから自由になろうとしているように見えます。もちろん自分のルーツを探したり自分探しに意味を見出すというのも意味のあることです。現代を生きる多くの人の暮らしは、そういう関係を煩わしいと考える人が多くなってきているのも現実。
自分と暮らした家族や動物たちとの思い出を大切にしながら、人と人との居場所、家族だった動物との居場所を自分のために作ろうとしているようにも見えます。
人と人、人と家族だった動物。その終わりの時を迎えたあと、どのように暮らすか。それはそれぞれが決めることでしょうか。